
painted by Gerhart Richter
ゲルハルト・リヒターの世界
| 引用はゲルハルト・リヒター『写真論/絵画論』(1996)より |
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状況をより正しく表現する絵画。より真実味があって、未来的なところをもつ作品。未来の設計図のようにも理解できるが、それをはるかに超えるもの。つまり、教育的ではなく、論理的でもなく、ずっと自由で、どんなに複雑でもなんの苦労も感じさせない、そういう絵画だ。 1986 |
私は絶対的な絵というものを信じていません。接近しつづけ、くりかえしとりくんで、描いてみることができるだけです。(…)つまり、ベストの作品ではなくて、接近という作業のすべて。 1989 |
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我々は一面的な存在ではなく、つねにその両方です、国家そしてテロリストです。 1989 |
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絵画になにができるかを試すこと。今自分はどのように、なにを描けるのか。いいかえれば、今なにがおこっているのかについて、自分自身のために一つの映像をつくろうとしつづけること 1977 |
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写真とは、私にとって現実のかわりになるものではなく、現実へいたるために必要な杖でした。(…)ある対象を自然のままに写生するとしますね。私は対象をそのうち様式化しはじめ、自分の見方と、美的な規範に合わせて変更しはじめてしまうでしょう。でも、写真を描きうつす場合は、こうした規範のすべてを忘れ、いわば自分の意志に逆らって描くことができるのです。(…)「それはこうなっている、ただ描きうつすだけでいいんだ、そうすれば完全に、そして正当に把握したことになる。ものはそれ以外ではありえない」というような発想(…)こんな確実性を信頼するわけにはいきません。 1972 |
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ある絵画における善とは、けっしてイデオロギーではなく、つねに「事実性」なんだ。 1986 |
自然だけに関係している。我々には自然しかない。 1986 |
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モティーフを無造作に選んだことなど一度もない。利用できる写真をみつけるには、いつも大変な苦労をしなければならなかったんだから。(…)僕にわかるのはただ、なぜとくにその写真を選んだのか、なぜそのできごとを描写しようと思ったのか、その理由は内容にあるということだ。(…)僕自身の現在がうつっている写真を探したんだ。つまり、僕に衝撃をあたえた写真を。 1986 |
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すべてのメディアは、実に巧みに、そしてしつこく幸福と快適のイメージを伝達しています。それは義務のような効果をおよぼし、すでに教育です。すなわち、なにかまったくまちがった非現実的なものにむけての教育なのです。この幸福への強制、これは危険です。 1989 |
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ただ重要なのは、作品が普遍性をもち、私という人間でなく作品自身を示すことです。 1989 |
我々がつくりだす理念は、ほとんどつねに、まったくあやまってナンセンスであるばかりか、なによりも危険だということ、これは実に印象的で、不可解なことです。 1989 |
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ある考えを念頭において仕事をすると、まったくうまくいきません。絵画の論理は、あとになって言語化されるものであって、それをあらかじめ構成することはできないのです。(…)無意識の重要さに、ますます気づかされるんです。描いているときに、無意識のことがおこらねばならない…あたかもなにかが影で働いているかのように。私にできるのは、その隣にたたずんで、なにかがでてくるのを待ちうけるくらいです。 1989 |
作品は計画されていないし、制御されてもいない。むしろ生じるんだから。 1993 |
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絵画をつくりあげること。私の思考と感情に、一つのイメージをあたえることです。つまり、動機と意図が重要でなくなり、最後にはまったく無意味になってしまうことです。 1989 |
芸術は、人間のごく自然な本性でもあるのですから。(…)モーツァルトのような芸術なしに、人は生きていけないと核心しているだけです。 1989 |
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